信仰心と道徳






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2010年09月29日(Wed)
信仰心と道徳
今日は絶好の秋晴れの中、倉敷市日畑で来月より着工する新築工事の地鎮祭に参加してきました。

式典には施主さん夫妻と子供さん、施主さんのご両親に今回の建物をプランしてくれた設計者さんに施工者として弊社の社長と私が参加しました。

神主さんの指示の元、土地のお清めと工事の安全をお祈りしていただき式典の方も滞りなく行われ来月からの工事に向け気も引き締まります。

以前、神主さんから地鎮祭の意味についてお話を聞いたことがあるのですが・・・

そもそも土地とは神様の持ち物であり、その土地に家を建てるということは家の建った場所には草も木も生えてこない、つまり何も生まない場所になってしまう為に前もってお清めしておくものです・・・みたいな話でした。

そう言った地鎮祭の意味について話を聞くと、「昔ながらの習わしだから」、「やっておくのが普通だから」、「みんながやっているから」と何となく意味も分からないまま地鎮祭を行なうよりも、意味のある地鎮祭が出来ますね。

「最近の若い人」と言うと何となく自分が年寄りじみて思えますが最近、若い人との話の中で話題によっては信仰心というのが段々薄れてきているようにも感じてしまう事があります。

信仰という言葉を調べてみると一番初めに「神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。」とありました。

神様や仏様をどこまで信じるかは、もちろん一人一人違うと思います。

こう言う言い方をすると語弊があるかもしれませんが、私自身も神や仏を100%信じている訳ではありません。

しかし私は信仰とは道徳でもあると思っています。

簡単に考えると「やって良い事、悪い事」などの判断は誰かの教えをよりどころに判断するのではないでしょうか?

私も小学校の1〜2年生の頃に道徳という教科を教科書で教えてもらった事をわずかに覚えています。

内容も最低限の基本的なもので、何を元に作った教科書か解らない様な内容だったようにも思います。

最近ニュースなどで子供に手をかけた、大量の人への無差別な犯罪などを考えてみると、そこにはやはり人としての道徳心の少なさを感じ取れます。

神や仏を100%信じて下さいなどとは言いませんが、しかし何かの教えをよりどころに道徳を学ぶのには大賛成です。

私がこれからの子供たちに学んでほしいのは小学生の頃、習う基本的な道徳とは別に上記に書いた自分の心よりどころにする「何か」を見つけ根本的な道徳として学んでほしいと思っています。

最後に余談ですが私がよりどころにしているのは、サムライと呼ばれた頃の日本にあった「武士道」です。

私自身、もちろん武士でもなければ別に武術を習った訳でもありませんが色々と「武士道」について調べてみると、これが日本人としての道徳ではないのかと1人勝手に思っています。



   


林 俊文の想い

幸せの感じれる家づくりのお手伝いのできる大工職人として・・・

あたりまえの幸せを感じさせてくれる3姉妹&末っ子長男の4人の成長を願う父親として・・・

妻・両親をはじめ、様々な形で私に関わってくれる多くの人たちに日々感謝しています。

こんな多くの人と接する事のできる幸せを感じながら、自分の人生に悔いを残すことなく夢を追いかけていきたいと思います。

いつの日か私の大工職としての技術と想いを受け継いでくれる人が現れる時まで・・・

そして私が手がけた家が私が大好きな街でもある岡山・倉敷の街並みを少しでも彩ってくれるその時まで・・・


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カレンダ
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